岩崎弥太郎の死後、三菱商会は政府の後援で熾烈なダンピングを繰り広げた共同運輸会社と合併して日本郵船となった。
このような経緯から日本郵船は三菱財閥の源流と言われている。
なお弥太郎の娘婿から加藤高明及び幣原喜重郎の2人の内閣総理大臣を輩出している。
単に財閥家族と血縁関係にあったり財閥の娘婿というだけの首相は他にもいるが、財閥創業者の娘婿が2人も首相になった例は他の財閥にはなく、三菱と国家の密接な関係を証明しているといえる。
三菱商船学校(のちに官立の東京商船学校を経て現国立東京海洋大学海洋工学部)創設者である。
三菱財閥(みつびしざいばつ)は、日本三大財閥の1つ。
岩崎弥太郎が創立した三菱商会を基盤に、政府の保護も得て海運業を独占。
1893(明治26)年三菱合資会社を設立。これを持株会社として造船業・鉱業・鉄道・貿易などあらゆる分野に進出。
第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP) の指令により解体された。
かつてキャッチフレーズを「ラーメンからミサイルまで」としていた時期があった。
これは取り扱い商品の広範囲さを謳ったもので、ラーメンとは日清食品のチキンラーメンのことだった。
なお、ミサイルというのは批判を浴びたので、後に「航空機」と変更された。
全共闘運動が最も盛んだった時代に土田・日石・ピース缶爆弾事件が起こされるなど日本の大資本を代表する企業と見られている。
貿易仲介を中心とした口銭を稼ぐビジネスが中心であったが、この10年間に資源開発への直接投資(天然ガスや原料炭)、菱食に代表される食料流通などのバリューチェーンの構築、コンビニエンスチェーンローソンを通じた消費者マーケットの開拓など、川上から川下までの領域にわたっての投資や経営参画を通じて収益を上げる体質変化を遂げ、収益拡大を続けている。
終戦後一度は財閥解体により三菱商事は解体されているが、
1954年(昭和29)に大合同を遂げることになる。
当時の高垣勝次郎社長は同年に発足された「金曜会」の初代世話人にも就任する。
1992年6月から6年間、三菱の創業者・岩崎弥太郎の曾孫を妻にもつ。
槙原稔が社長を務めたことでも話題になった。